2009年06月24日

ISSに滞在する正式クルーは政府間協定締結国に

ISSに滞在する正式クルーは政府間協定締結国に限られている(滞在権について各国・機関毎に枠がある)が、参加国・機関が別途民間人と商業契約を結び、自国枠を提供しISSに滞在させる宇宙飛行関係者という区分があり、これまでロシアのみが商業契約を結び、民間人を滞在させている。これまでに商業契約を結んでISSに滞在した者は、自費で費用を支弁したデニス・チトー、マーク・シャトルワース、グレッグ・オルセン、アニューシャ・アンサリ、チャールズ・シモニー、リチャード・ギャリオットの6人と、ロシアとの国家間協定に基づき宇宙に行ったマレーシアのシェイク・ムザファ・シュコア、国家が商用旅行の権利を購入したことにより宇宙へ行った韓国のイ・ソヨンの2人、計8名である。

ISSの建設は50以上の組立部品及び作業のための打ち上げが要求される。それらの打ち上げの39回はスペースシャトルによる打ち上げである。組立部品及び作業のための打ち上げに加え、おおよそ30回のプログレス補給船による打ち上げが補給のために必要とされる。組立が完了した時点のISS は、体積1,200立方メートル、重量419トン、最大発生電力110キロワット、トラス(横方向)の長さ108.4メートル、進行方向の長さ74メートル、最大滞在人数6名となる予定である。

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ステーションはいくつかのモジュール及び要素で構成される。

「ザーリャ」 (FGB) 基本機能モジュール 米 (製造は露) 1998年11月20日
「ユニティ」 (Node 1) 結合モジュール1 米 1998年12月4日
「ズヴェズダ」 居住モジュール 露 2000年7月12日
「デスティニー」 米国実験棟 米 2001年2月
「クエスト」 エアロック 米 2001年7月
「ピアース」 ロシアのドッキング室・エアロック 2001年9月
「カナダアーム2」 (SSRMS) カナダ 2001年4月
Z1トラス 米 2000年10月
P6トラス 米 2000年12月
S0トラス 米 2002年7月
S1トラス 米 2002年10月
P1トラス 米 2002年11月

2009年06月09日

日本語のローマ字化(断念)

1948年(昭和23年)春、日本の教育状況と日本語に対する無知と偏見から、「日本語は漢字が多いために覚えるのが難しく、識字率が上がりにくいために民主化を遅らせている」とする、ジョン・ペルゼルという若い将校の発案で、日本語をローマ字表記にしようとする計画が起こされた。
化学物質過敏症
特定疾患
オーケストラ
バーベキュー
スキンケア
学童保育所
衛生
合気道
ホスピス
試写会
材料科学
システム工学
哺乳類
クリスマス
遺伝子疾患
食品添加物
ボクシング
履歴書
バレーボール
労働組合

当時東大助手だった言語学者の柴田武は、GHQ傘下の「CIE(民間情報教育局)」の指示によって、この読み書き全国調査のスタッフに選ばれ、漢字テストの出題を任された。これは日本初の「無作為抽出法(ランダムサンプリング)」の実施でもあり、統計学者林知己夫が被験者のサンプリングを行った。

こうして1948年(昭和23年)8月に、文部省教育研修所(現・国立教育政策研究所)によって実施された、15歳から64歳までの約1万7千人の老若男女を対象とした全国試験調査「日本人の読み書き能力調査」であったが、その結果、漢字の読み書きができない人は2.1%にとどまり、「日本人の識字率が100パーセントに近い」という結果が出た。世界的に見ても、これは例を見ないレベル(NHKスペシャルでの当該特集での表現)であり、日本語のローマ字化は撤回された。

柴田はテスト後にペルゼルに呼び出され、遠回しに「字が読めない人が非常に多いというふうにしてくれないと困る」と言われたが、柴田は「調査結果は捻じ曲げられない」と突っぱね、ペルゼルもそれ以上の無理押しはしなかったという(朝日新聞2008年12月5日夕刊より)。

1945年(昭和20年)
7月26日 アメリカ合衆国、イギリス、中華民国がポツダム宣言を発表。
8月14日 日本政府がポツダム宣言の受諾を通告。昭和天皇が終戦の詔書を出す。
8月15日 終戦。昭和天皇が国民に向けて終戦を発表する(玉音放送)。鈴木貫太郎内閣総辞職。
8月17日 東久邇宮稔彦王内閣成立。
8月28日 テンチアメリカ陸軍大佐以下150名が横浜に初上陸し、連合国軍本部を設置。
9月2日 日本政府が戦艦ミズーリで降伏文書調印。GHQ指令第一号(陸海軍解体、軍需生産の全面停止等)が出る。
9月8日 連合国軍、東京を占領する。以後、都内の建物600箇所以上を接収。
9月10日 「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」(SCAPIN-16)発令。連合国軍が検閲を始める。
9月15日 東京・日比谷の第一生命館を接収。
9月16日 連合国軍本部が横浜から第一生命館に移転。
9月17日 マッカーサー、東京の本部に入る。
9月18日 朝日新聞への二日間の発行停止を命令(SCAPIN-34)。
9月19日 言論統制のためのプレスコードが出される。
9月22日 放送に対する検閲、ラジオコード(SCAPIN-43)を指令。
9月27日 昭和天皇、マッカーサーを訪問。
10月2日 連合国軍最高司令官総本部(GHQ/SCAP)設置。一般命令第4号により「民間情報教育局」が米太平洋陸軍総司令部(GHQ/USAFPAC)より移行[6]、日本人に敗北と戦争に関する罪、責任などを周知徹底せしめることを勧告(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)[7]。
10月4日 自由の指令(「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件(覚書)」、「政治警察廃止に関する覚書」)発令。
10月8日 事前検閲を朝日新聞、毎日新聞、讀賣報知、日本産業経済、東京新聞の在京五紙に対して開始。
10月9日 東久邇宮内閣総辞職し、幣原内閣が成立。
10月11日 女性の解放と参政権の授与、労働組合組織化の奨励と児童労働の廃止、学校教育の自由化、秘密警察制度と思想統制の廃止、経済の集中排除と経済制度の民主化を指示。
10月15日 治安維持法の廃止。国内の日本軍、武装解除を完了。
11月18日 皇族資産凍結の指令。
12月6日 近衛文麿や木戸幸一など民間人9人の逮捕を命令。
12月7日 いわゆる農地解放指令(農地の小作人への分配)。
12月8日 太平洋戰爭史を全国の新聞へ掲載させる。
12月9日 農地改革を指示。眞相はかうだの放送を開始。
12月15日 神道指令を指示(政教分離等)。
12月31日 「修身、日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件」(覚書)(SCAPIN-519)を発令。修身、国史、地理の授業は中止、教科書は蒐集される。

2009年06月06日

結城氏(ゆうきし)は平安時代末期から戦国時代

結城氏(ゆうきし)は平安時代末期から戦国時代にかけて、主に下総で活動した一族(大身)。通し字は「朝」

藤原秀郷の末裔・小山朝光(結城朝光)が平安時代後期に源頼朝の挙兵に従い、志田義広滅亡後の鎌倉時代には下総の結城(茨城県結城市)を領した事が結城氏(下総結城氏、本記事中では一部を除き単に「結城氏」と記す)の始まりであるとされている。朝光は古くから源頼朝御落胤説があり、北条氏のために親子の名乗りができず、その代わりに身分の上では小山氏の庶子に過ぎなかった朝光にあらゆる優遇を施したという。それ故か、伝統的に源氏を称している。あらゆる名族が起きては滅び、結城氏も翻弄され家運定まらぬ中で、鎌倉以来の名族中の名族としてその家名を後世に伝えた。

朝光とその子結城朝広の時代、幕府の要職を歴任し、鎌倉府の御家人の中心として繁栄期を迎えた。しかし、朝広の子の結城広綱以降は当主の夭折が相次き、衰退することになる。鎌倉幕府の滅亡後は白河結城氏に一時惣領の座を奪われるなどやや勢力は振るわなかったが、結城朝祐・結城直朝は足利氏に接近し、その覇業を助け転戦し、直朝の弟の結城直光の代には安房の守護を務めるなど再興を果たしている。
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鎌倉時代末期、朝広の子の一人である結城祐広は白河(福島県白河市)を本拠として白河結城氏(白河氏、または白川氏)となる。1333年に後醍醐天皇が鎌倉幕府に対して挙兵すると、祐広の子の結城宗広は新田義貞の鎌倉攻めに参加し、鎌倉幕府滅亡後の建武の新政においては宗広の子の結城親光が三木一草と称される1人となった。また、親光の兄の結城親朝は奥州府の一員となり陸奥守北畠顕家と北畠親房父子を補佐する。足利尊氏が建武政権から離反し南北朝時代になると、下総結城氏が足利方に従ったのに対し、白河結城氏は南朝方に属した。親光は尊氏が九州から入京を果たした際に尊氏暗殺を試みて失敗して殺され、宗広は北畠親子に従い続けたが、親朝は常陸(茨城県)へ渡り関東地方における南朝勢力を確保しようとした親房の救援要請に対し距離をおき、1342年に足利方に従う。

2009年04月22日

エコツーリズム

エコツーリズムとは、 環境や社会的なものまで含めての生態系の維持と保護を意識し、地域社会の発展への貢献を考慮したツーリズム(旅行、リクリエーション)のことである。エコツーリズム推進法が成立し平成20年から施行される。

エコツーリズムを具体化したツアーをエコツアーと呼ぶ。またツアーにおける情報提供をガイダンスという。

エコツーリズム(ecotourism)はあくまで、地域の環境や生活や文化を破壊せずに自然や文化に触れ、それらを学ぶことを目的に行う旅行、滞在型観光等を指す。なお、エコツアーは具体的には農村滞在、農業体験、自然探訪ツアー等がある。

エコツーリズムと他のツーリズムの違い
単に自然の中で野生動物と接し、珍しい動植物の生態に触れたり、アウトドア活動を楽しむような旅行(一般的にネイチャーツアーと呼ばれる)、また、自然保護のための活動を主な目的として、余暇の時間を削ってボランティアで汗を流しに出かけていくようなツアーなど、いずれもこれらはエコツーリズムとは違うものといわれているが、そもそもエコツーリズムが発展途上国の自然保護における資金調達手段に生み出された経緯がある。

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自然の生態系や歴史的文化的な遺産の保護と保全という活動に、観光という余暇活動が加わり、さらに欲を言えば、それにその環境を維持している地域への還元があって初めて理想的なエコツーリズムになるというものである。つまりエコツーリズムは単なる観光でもボランティアでもないものとされる。

自然の生態系や歴史的、文化的な背景をもつ地域、環境に出かけ、それを楽しむと共にそれを保全、維持してきた人たちへの感謝も忘れないこと、それがエコツーリズムの精神である[要出所明記]。一方で、所詮は自己満足のエゴツーリズムであるという批判もある。

エコツアーへの参加者が多くなれば、環境に与える負荷が大きくなる、という矛盾に対しては、地域において、キャリングキャパシティ、ゾーニングといった手法が考え出されている。

エコツーリズムは本来、持続可能な社会の実現のためのツーリズム版(「持続可能な観光」)である[要出典]。 少人数型のエコツーリズムは、ややもするとマスツーリズムとは対極的なものとして、マスツーリズム批判に使われることも多かった[要出所明記]。 しかし、本来目指すべき持続可能な社会の実現を考えたとき、エコツーリズムだけでは数的に小さく、その他大多数のツーリズムがグリーン化しなければ、持続可能な社会にはなりえない。

そのため、現在ではエコツーリズムは理念としては尊重されているが、その具体化であるエコツーはニッチ市場として存在するのみであり、本来の持続可能な社会の実現のためには、マスツーリズムをいかにエコ化していくかということの重要性が認識されつつある

2009年04月19日

カイロネイアの戦い

カイロネイアの戦い(カイロネイアのたたかい、Χαιρώνεια、ヘロニアとも)は、紀元前338年カイロネイアで古代マケドニア王ピリッポス2世とアテナイ・テーバイ連合軍の間で戦われた会戦。

背景
ピリッポス2世のもとで急速に強大化したマケドニアはギリシアに影響力を強めており、これに対して弁論家デモステネスはマケドニアの脅威とギリシアの団結を唱えた。テーバイと同盟を結んだアテナイは紀元前338年8月初めにマケドニアとボイオティアのカイロネイア近郊で戦闘を行なった。

会戦
マケドニア軍は、ピリッポス率いる近衛歩兵部隊(ヒュパスピタイ)と軽装歩兵からなる右翼を前に出した斜線陣を敷き、中央には重装歩兵部隊を斜めに並べ、左翼のヘタイロイとテッサリア騎兵部隊と軽装歩兵部隊は王子アレクサンドロス(後のアレクサンドロス大王)と将軍パルメニオンが率いた。
一方、アテナイ・テーバイ連合軍は、左から軽装歩兵、アテナイ軍、その他同盟軍、ボイオティア軍、軽装歩兵、という布陣だった。

戦いはピリッポス率いるマケドニア軍右翼の攻撃により始まった。ところが、敵が交戦するやいなやピリッポスは後退した。それを見て自軍が押していると勘違いしたカレス率いるアテナイ軍は前進し、総攻撃を開始した。この前進により、アテナイ軍とボイオティア軍との間に隙間ができた。そこへアレクサンドロス率いるヘタイロイが突入し、同時にテッサリア騎兵と最左翼の軽装歩兵もボイオティア軍を側面から攻撃し、ボイオティア軍は左右から包囲される形となった。
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その頃、アテナイ軍はマケドニア軍右翼と中央による逆襲を受け、敗走した。マケドニアの新式ファランクスの前には既存のファランクスなど敵ではなかった。しかし、包囲されたボイオティア軍は逃げることもできず、多くの兵士が討ち死にした。中でもテーバイの神聖隊は300人中254人が戦死するという壊滅的打撃を被った。

その後
戦後ピリッポス2世はヘラス同盟(コリントス同盟)を結成しスパルタを除く全ポリスがこれに参加、マケドニアの覇権を確立した。ピリッポスはペルシア遠征を目論み、パルメニオンを先遣隊として小アジアへ送るなど準備を進めていたが、紀元前336年に暗殺された。その後はアレクサンドロスが王位に就いた。弱冠20歳のこの新王に対し、テーバイは再度反旗を翻したが、敗れ、都市は破壊された。そして、ギリシアを重臣アンティパトロスに任せて後方の憂いを除いた後、紀元前334年に彼は父の夢だったペルシア遠征へ向かった。

2009年04月04日

投石器

投石器(とうせきき)は、片手で握れる程度の石を遠くへ投げるための紐状の道具。古くから羊飼が羊の群を誘導したり害獣を追い払ったりするのに使い、土地によってはその用途で現代まで使われている。鳥など小型の動物を対象とする猟にも使われた。また安価に作れて弓矢と同等以上の射程と十分な威力を持つことから、古代・中世には兵器としても使われ、現代でも暴動などの際に使われることがある。スリング、投石具、投石紐とも。

基本的に、中央の石を包むための幅広い部分と、その両端の振り回して速い回転速度を得るための細長いひも状の部分からなる。ひも状の部分の一方の端は投げる時に手から離れないようループになっているか、手に巻き付けられる様にやや長くなっている。材料は羊毛や麻の繊維を編んだものや皮革や布でできたものやなどがある。長さは二つ折りの状態で0.5mから1.5m程度。

また、90cm程の長さの棹の先に割れ目を付け、石を包み込める幅広い部分を有する紐の一端を棹に括りつけ、紐の括ってない方の端側に結び目を作って割れ目にひっかけ、紐に石をセットして、振りかぶって一振りで飛ばす投石器(スタッフ・スリング)もあり、射程距離は高速回転させて飛ばす通常のスリングより短くなるが、扱いは容易で前方に飛ばしやすく、両腕の力を込める事ができるのでより重く大きい弾丸や岩を飛ばすことができた。

用法 [編集]
全体を二つ折りにして一端をループを手首に通すか手に巻き付けるなどして手に固定して他端とともに握り、広い部分に石をくるんで頭上で振り回すか(オーバースロー)、体側面で振り回す(アンダースロー)かして、適当な位置で握った手を緩めるとひもの片方が手から抜けて石が飛ぶ。ひもの一方を放すタイミングが方向や射程に大きく影響するので、飛び道具の中で最も修得が困難だったといわれる。オーバースロー、アンダースローともそれぞれ長短あり、使い分けを要する。またそれぞれの射程に適した投石紐の長さがあり、標的までの距離に応じて選択する能力も要求される。一般的に近距離の標的に当てる時は短い紐の物を使い石も比較的大きく重い石を使用し、逆に遠距離の場合は長い紐の物で小さく軽い石を用いた。

弾としては川原などで選んだ玉石のほか、軍用には陶製・鉄・青銅・鉛製の弾も使われた。古代ギリシアで使われた鉛弾は、ラグビーのボールをやや長くしたような形で、往々敵に対する短い言葉が鋳込んであった。また羊飼が使う弾にも同様の形に作って焼いた土製のものがある。こちらは、飛ばした時に大きな音が出るように作られていた。

投石器の持つ弓と比べたときの強みは、射程が長かったこと、より強力な弾を投射できたことなど様々であるが、その最大のメリットは弾丸の調達が容易であったことである。鉄の鏃を持った強力な矢の大量生産は時として大変な作業であったが、投石器はそれが大規模に運用される場合においても、特殊な補給を必要としないことが多い。適当な硬度・大きさ・形状の石を手近な川原・岩場などから拾ってくればいいのである。ただし、集団で一斉に同一射程の標的を狙う場合は些細な石の質量や密度・形状の差でその攻撃効果が大きく左右されかねないため、より組織的な攻撃を行うためには規格化された均一の品質を持った弾を使うことが望ましく、その結果ばらつきの激しい天然石ではなく人工的に生産された弾が求められるようになるに至り、弾丸の調達に関しては矢と大差なくなってきたのも事実である。

また、もう一つの強みとしては狙いを定めている間、弓矢は両手で構えていなければならないのに対して投石器は片手で振り回している為、もう片方の手が自由であると言う点があった。例えば弓矢の敵と戦う時、このあいた片手で盾を持っておけば敵よりも相手の攻撃を避ける事ができた。その為、古代ヨーロッパなどでは弓矢を使う相手に対して投石器や投げ槍を優先的に用いて対抗することもあった。

これに対してデメリットには、弓矢と違い一度投石動作を開始すると、その途中で標的を変更することがほとんど不可能なこと、馬上からの使用が困難なことなどがある
古代のシュメール人やアッシリア人が投石器を使っていたことは当時の浮彫などにより知られている。アッシリアの浮彫に見られる戦闘描写では投石兵は弓兵の後方に並んでおり、投石器による石弾の射程は当時の弓による矢の射程より長かったと推測されている。

聖書の『士師記』には「一本の毛すじをねらって」投げてもはずさないという手練の投石兵たちの記述があり、また『サムエル記』には、後にイスラエルの王となるダビデが少年のころ投石器でペリシテ人のゴリアテという大男を倒したことが書かれている。

古代の地中海世界では東のロードス島人や西のバレアレス諸島人が特に投石器の名手の多いことで知られ、諸国の傭兵隊に投石兵を提供していた。

古典時代の古代ギリシア世界では重装歩兵の白兵戦のみが栄誉あるものとされていたために投石器の歴史記録に乏しい。しかし、現実には戦闘開始時に敵戦列を乱して自軍の重装歩兵戦列の突破口を作ったり、攻撃が失敗して退却するときに、軽装歩兵が投石器、弓矢、投槍によって反撃を行わなければ退却はおぼつかなかった。そうした実態は次に記す『アナバシス』などの実例によって判明している。

『アナバシス』[1]では、重装歩兵中心で投石兵や騎兵を欠くギリシア人傭兵が、騎兵・弓兵・投石兵よりなる敵の小部隊に遠方から一方的に攻撃され、防戦に徹さざるを得ずに戦意を喪失しかけた際、クセノポンの発案で陣中からロードス島人を集めて投石兵隊を編成し、速成の騎兵隊とともに数日後に現れた同じ構成の敵の大部隊をみごとに撃退したこと、その時鉛玉や小型の石弾を使うロードス島人投石兵が大きな石を使う敵側の投石兵や弓兵に射程で優っていたことが書かれている。

史実を背景にするとはいえ、旧約聖書の半ば神話的なダビデとゴリアテの物語はともかく、著者本人の体験に基づく『アナバシス』の記述や、ペロポネソス戦争を描いたトゥキュディデスの同時代史記録である『戦史』中、スパルタ人守備隊が降伏したスパクテリア島での戦闘の記述などは、重装歩兵に対しても投石器による攻撃が有効であったことを示している。

5世紀のローマのウェゲティウスの著述によると、当時の弓の射程は180m程度だったとされているのに対し、アナバシスの記録から考えて、投石器の射程は400mを超えたと考えられる。また、投石器から弾丸が飛び出すときの初速は100km/hを越すと考えられており、ヴェジティウスによると前後を円錐形に加工した弾丸は皮革製の鎧をつけた兵士に対して弓矢よりも致命的で内臓を損傷する傷を負わせ、鎧をつけていなければ人体を貫通したという。

鎧の防御力や騎兵の運用技術の向上、合成弓や石弓などの強力な弓矢の登場などによって4世紀頃に投石兵の地位は衰退し始め、中世には投石器は次第に使われなくなったが、17世紀までは榴弾を投げるのに使われることがあった。

その他 [編集]
原理的に同じものが射程を伸ばす目的でマンゴネル(トレバシェットの原形で、重錘でなく多数の綱がついており、大勢で綱を引下ろして石を飛ばすもの)やトレバシェットの桿の先にも使われた。

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2009年03月20日

エジプトの征服にあたり、ファーティマ朝

エジプトの征服にあたり、ファーティマ朝はイフシード朝以来の支配層の財産を保証し、強圧的なイスマーイール派の押し付けを避けて、多数派であるスンナ派との融和をはかった。このため、ファーティマ朝は内部にこれまで以上のスンナ派勢力を抱えることになったが、978年にはムイッズの建設したアズハル・モスクにイスマーイール派の最高教育機関となるアズハル学院が開講され、カイロでイスマーイール派の教理を学んだ教宣員たちはファーティマ朝の版図に留まらず、イスラム世界の各地に散らばってイスマーイール派を布教した。現在、シリア、イラン、パキスタン、インドやアフガニスタン・タジキスタン・中国の国境山岳地帯などで信仰されているイスマーイール派は、こうしたファーティマ朝の積極的な布教により広がったものである。

しかし、政治の面ではシリア地方で土着のスンナ派勢力による反ファーティマ朝の動きが広がり、北シリアから先の拡大は阻まれた。一方、王朝発祥の地チュニジアでは、ファーティマ朝からマグリブ(西アラブ)・トリポリタニア(現リビア)方面の統治を委ねられていたズィール朝が事実上の独立を果たし、エジプト以西の領土が失われていた。さらに、第6代カリフのハーキムが1021年に謎の失踪を遂げて以降は実力のないカリフが続き、行政官庁の最高実力者である宰相(ワズィール)が実権を掌握した。

ファーティマ朝の滅亡 [編集]
12世紀の後半に入ると、幼弱な者がカリフの地位に就くようになり、宰相の地位をめぐる軍人たちの争いが一切の抑えを失って政治はますます混乱した。さらにファーティマ朝の衰退に乗じ、シリア地方で激しく争うイスラム勢力のザンギー朝と、エルサレム王国などの十字軍国家がエジプトへの侵攻、介入をはかるようになっていった。

1163年、ファーティマ朝の有力者同士の宰相位を巡る争いに際し、一方の要請を受けたザンギー朝のヌールッディーンは、部下のクルド人の将軍シールクーフをエジプトに派遣した。シールクーフは首尾よくエジプトに入ったが、エルサレム王アモーリーの介入によりシリアへと撤退を余儀なくされた。シールクーフとエルサレム王国はその後もエジプトへの介入を繰り返し、1169年、最終的にシールクーフがエルサレム王国軍を追ってカイロに入城した。

カリフはシールクーフを接見してスンナ派である彼を宰相に任じたが、シールクーフはそのわずか2ヵ月後の同年3月23日に急死し、かわって甥サラーフッディーンが宰相に就任した。サラーフッディーンは一切実権をもたないカリフになりかわってエジプトの政治を取り仕切り、外来のシリア軍に対して反乱を起こしたファーティマ朝の黒人奴隷兵軍団を撃破し、カリフ宮廷で勢力を振るっていた黒人宦官を殺害して政権を固めた。さらに、自身の親族やマムルークにイクターを授与してザンギー朝式の国制を導入し、イスマーイール派の法官(カーディー)を追放してスンナ派の法官にすげ替えるなど、体制の切り替えを進めた。1171年、宮廷に篭りきりだった最後のカリフが20歳の若さで病死するのに前後して、サラーフッディーンはエジプトがアッバース朝カリフの宗主権を承認する宣言を行い、ファーティマ朝は終焉を迎えた。

ファーティマ朝の消滅にともない、かわってサラーフッディーンによるスンナ派王朝、アイユーブ朝がエジプトを支配し、やがてシリアへと勢力を広げてゆく。


国制 [編集]
ファーティマ朝のきわだった特性は、カリフを絶対君主とするきわめて中央集権的な国家体制をもったことである。これは、預言者ムハンマドの従弟にして娘婿であったアリー以来、その子孫がイマームとして父から子に受け継がれる政治的・宗教的な指導力を引き継ぐとするシーア派の原理に裏打ちされていた。ファーティマ朝のカリフはすなわちシーア派の一派であるイスマーイール派のイマームであるとされ、クルアーン(コーラン)などに示された神の意志の真なる意味を解釈する能力を認められる。この点で、原則としては政治的な指導者に過ぎなかったスンナ派のカリフと比べると、神権的な力に裏付けられた権力を正当化することができた。

国家機関は、アッバース朝と同様、イスラム時代の初期からイスラム王朝によって行われてきたものを踏襲し、ディーワーンと呼ばれる行政官庁によって徴税を行い、軍人に俸給(アター)を分配した。行政官庁の長が宰相(ワズィール)で、エジプト時代に地位を高め、次第にカリフに代わる実質上の最高権力者となっていった。エジプト時代の初期にはカリフ専制体制を背景に、宰相には宮廷との個人的なつながりによって登用された有能なユダヤ教やキリスト教からの改宗者が就任したが、11世紀後半以降は軍人出身の有力者が就任するようになる。
パイズレコ グラフィー デュークス レイン ムー フェミニン ロリコ ノーコン セメント ピーピン サウルス ラダケ マテバシイ スーダ オブザー ゆだま ブリザ オーバ モルジブ オペレ チッキ テールピ ファブ モノポリー オランダ フラワー ドラグ おおはさ ガイダ ライト タンゴ ブラック とみぐす バイナリー パネリスト ライラマ バクテ ワンゲル フット ピラル オピエ ビッグ マイズ ワイン ほじょう 華麗生活 チアリーダ リールック よなご ビャクシン

軍人は、王朝の創建当初はその成立事情を反映してベルベル人の軍団、将軍が力をもったが、後には黒人、ギリシャ人、スラヴ人、トルコ人などからなる奴隷身分出身の軍人(マムルークなど)が活躍した。軍人たちはそれぞれの出自、身分別に編成された軍団に分かれ、有力者同士の宰相位を巡る争いによって相互に対立したことは、ファーティマ朝の混乱の大きな要因となった。


歴代カリフ [編集]
ウバイドゥッラー(アブドゥッラー・マフディー、909年 - 934年)
カーイム(934年 - 946年)
マンスール(946年 - 952年)
ムイッズ(952年 - 975年)
アズィーズ(975年 - 996年)
ハーキム(996年 - 1021年)
ザーヒル(1021年 - 1036年)
ムスタンスィル(1036年 - 1094年)
ムスタアリー(1094年 - 1101年)
アーミル(1101年 - 1130年)
ハーフィズ(1130年 - 1149年)
ザーフィル(1149年 - 1154年)
ファーイズ(1154年 - 1160年)
アーディド(1160年 - 1171年)

同じ11世紀にはシリア地方にセルジューク朝、ついで第1回十字軍が到来し、エルサレムをはじめとするシリア地方のほとんどがファーティマ朝の支配下から失われた。ヒジャーズの宗主権もセルジューク朝に奪われ、12世紀にはファーティマ朝はもはやほとんどエジプトのみを支配するに過ぎなくなった。

2009年03月05日

キュクロプス(キュクロープス、Κύκλωψ)

キュクロプス(キュクロープス、Κύκλωψ)は、ギリシア神話に登場する卓越した鍛冶技術を持つ単眼の巨人であり、下級神である一族。 あるいはまた、これを下敷きとして後世に創られた伝説の生物をも指す。

英語読みサイクロプス(Cyclops)でも知られる。

ギリシア語 Κύκλωψ の原義は「κύκλος (kyklos、=circle、ring、wheel、円、丸、輪)」と「ωψ (ōps、=eye、眼)」から求められる「丸い眼」にあり、額の中央に丸い眼が一つだけ付いていることに由来する。
ベリア スニップ プット オランダ ポーズ フォロー 最終便 パピヨン カボル モンク デキス ライザー ユビキ オレン ムニエ はまおぎ タブカラー ライフ カーチ チークダン くぼち ビスター きこう しらかば シャー ポリタン リノリ ダンプ サスペ レーヨン ラバトリー ノルマ サイトシテ パルス アゼル マウンテン ジュール トリビア ジャパネ センタ リード いもづる カプラー レンレン ポーザル みやこ ダンテ トックス オーラ ジョンブル

ラテン語名 Cyclops (キュクロープス)。 英語名は Cyclops (サイクロプス)であり、cyclo- からの派生語[1]は全て同根の関係にある。 この英語名の発音も仮名転写され、日本語では一般的となっている。 フランス語では cyclope (スィクロプ)、ドイツ語では Kyklop (キュクロープ)。 中国語では「独眼巨人」、もしくは、音訳で「基克洛普斯」と記す。

なお、その名に因んだ事象、および、ここから派生した二次創作物については、項目「サイクロプス」経由で辿ること。 ただし、キュクロプスの逸話に副い、それ自体を扱った著名なものに限り、本項目に記載した。

神としてのキュクロプス
天神ウラノスと大地母神ガイアの息子たちで、アルゲス(Arges)、ステロペス(Steropes)、ブロンテス(Brontes)の三兄弟から構成される。いずれも雷に関連する名前である。

彼らは父神に嫌われ、兄弟族のヘカトンケイル族とともに奈落タルタロスへ落とされた。 弟族のティタン神の一人クロノスが政権を握ったあとも、久しく拘禁されたままであった。 しかしティタノマキアの時、ゼウスらによって解放される。 キュクロプス達はその礼として、ゼウスには雷霆(らいてい)を、ポセイドンには三叉の銛(さんさ-の-もり)を、ハデスには隠れ兜を造った。

以後はヘパイストスのもとで鍛冶業を続けたといわれる。 しかしその一方で、息子アスクレピオスをゼウスの稲妻で失ったアポロンの八つ当たりを食らい、皆殺しにされたとの悲劇的な異伝もある。

怪物としてのキュクロプス
ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』の第9歌に登場するキュクロプス族は、上述の高次元的存在としてのキュクロプスとは大きく異なり、旅人を食らうただ粗暴なだけの怪物である。 ポセイドン神を父に持つポリュフェモス(ポリュペーモス)も含めて、そうであった。

右の画像:『オデュッセイア』に登場の単眼巨人ポリュフェモス。

キュクロプスの巨石建造物
イオニア人・アカイア人・ドーリア人という第3派ギリシア人より前の時代のペロポネソス半島ではミュケナイ(ミケーネ)、ティリュンス、アルゴス等に代表されるミュケナイ文明が栄えたが、それらは巨石によって城砦その他を築き上げるものであった。 遅れてこの地に入り定着した第3派ギリシア人は、先人が残した大掛かりな巨石建造物の数々を見るにつけ、これらを巨人キュクロプスの手になるものと考え、「キュクロープスの石造物(Cyclopean masonry)」と呼び倣わすようになったらしい。 これは英国のストーンヘンジに代表されるストーンサークルやヨーロッパ各地のメンヒル、ドルメンといった巨石記念物が神秘的に見られ、巨人の遺した物と考えられたのに似ている部分がある。

右の画像:第3派ギリシア人にとっては巨人の遺物であったところの、ミュケナイ遺跡の獅子門の一部。
画像-1:ラコニア(Laconia)陶器の大皿に描かれたポリュフェモス(右)とオデュッセウスの部下達。部下達は2人ずつ食われていきながら、ワインで酔わせて裏をかこうとしている。紀元前565- 560年。
画像-2:タソス島出土のポリュフェモスの大理石像。紀元前2世紀、古代ローマによる模造(あるいは、ギリシア人によるオリジナルの作)。
画像-3:コズメ・トゥーラの筆によるスキファノイア宮殿の壁画、その一部より。キュクロプスとして描かれた鍛冶職人(1469-1471年)。
画像-4:オディロン・ルドン筆、"The Cyclops"。1914年。オランダはオッテルロー村のクレラー・ミュラー美術館 所蔵。

二次創作物
映画『シンドバッド七回目の冒険』 :『オデュッセイア』に登場の一族以上に怪物化されてはいるが、宝物の守護者としての怪物キュクロプスが描かれている、有名な特撮映画。

単眼巨人は何であったのか
製鉄の神
天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)と天津麻羅(アマツマラ)はともに日本神話に登場する製鉄と鍛冶の神であり、キュクロプスと同じく、一つ眼である。 同様に踏鞴(たたら)製鉄に関連して神に近い巨人であるダイダラボッチも隻眼(せきがん)とされる場合がある。 また、妖怪・一本だたらは先の天目一箇神が凋落した姿とも考えられている。 これら、製鉄(全世界的にはさらに古きを含めて「製錬」と言うべき)と隻眼(単眼)の関連性は注目に値する。「隻眼#神話・伝説の中の隻眼」も参照。

このほかにも、日本の妖怪・一つ目小僧がそうであるように、逃亡を防ぐ目的で故意に片目を潰した人身御供用の人間を神格化したことに起源するとも言われる存在も、世の中にはある。

先天性の一つ眼、ほか
関連性は証明されないが、可能性として無視のできないものに、先天性奇形の一種である単眼症(cyclopia)がある。 これは、上述の隻眼(後天性の隻眼)とは異質である。 差別され排斥される対象であった異形の人間は、どのような時代にも、口伝する人々の傍らにいたのであり、伝承上の異形の存在との関係を、無いとばかりは言えないであろう。

ゾウの頭蓋骨に由来か
地質学的知見からは、「出土したゾウの頭蓋骨化石に由来がある」との説が唱えられている。 ゾウの頭蓋骨の正面には、長大な鼻に見合う巨大な鼻腔が一つ開いている。彼らの眼窩(がんか)は側面に位置している上、鼻腔に比べて遥かに小さい。 そのため、「ゾウを見たことの無かった当時の人々が鼻腔を眼窩と勘違いし、“頭部前面に一つ眼を具えた怖ろしげな巨人像”を想起したのではないか」という推論である。 なお、ここで言う「当時の人々」とは、よく知られている“自然科学の発達した全盛期のギリシア文明期の人々”のことではなく、キュクロプスのイメージを最初に抱いたであろう“ギリシア文化に連なる不特定のきわめて古い時代に生きた人々”を指す。

2009年02月13日

こんぼく麻雀 〜こんな麻雀があったら僕はロン!〜

主人公・黒澤透はある朝目覚めると一人の少女が部屋にいた。その少女は自分は透が過去に同居していたススムと同じ神だと名乗り、本名も名乗ったが、透に勝手にアユムと呼ばれるようになる。アユムが語るには、ススムは友人から魔の麻雀セットを買わされてしまい、その魔の麻雀セットの呪いの力によって愛のエネルギーが吸い取られてしまっている。魔の麻雀セットの呪いを解くためには、麻雀セットを持っている女の子を打ち負かし愛のエネルギーを戻し、魔の麻雀セットをなんとかすることだった。そしてその役目を果たせる人間は、過去にススムと同居していたススムのエネルギーを受け続けていた透が選ばれた。はたして、彼はススムを助けることができるのだろうか…。
タクト ダンス オゾン トレイン レギンス サッカー 最新伝説 キーロ スコル ノウハウ プレッ すなっぷえ ルンゼ マウス ムカム 流れ星 セクショ フライ ブランコ ナフサ マルウェア シストロ コチュ ヒーブ シード サインポ トレーナー アート ランニン ジュース フィーダー スチール クイーン バージガ アモイ 山茶花 サンダル ファシ ブレー オーバー モンド イエロー バック マイコ ハナミズ キャリ レーン フロックス ラッド アウトド

黒澤透(くろさわ とおる) - 声優:福井信介
主人公。実家から離れて一人暮らしをしている学生。以前、神様であるススムと同居していたことで雀士として戦うことになる。前作でススムと生活するようになってから、夢を追うことと他人を信じることを思い出した様子。空手をやっていたこともあり実力も高い。時々怖い顔になるらしく、アユムから怖がられている。なお、彼は最初麻雀のルールを一切知らなかった。
イカサマ技は麻雀の役を積み込むことができる。
アユム - 声優:榊原ゆい
本名「エリシア・カンテーヌ・ド・ユグドラシル」。ススムと同じ神様であり、猫耳に尻尾、そして頭のてっぺんに葉っぱが生えている。普段は猫のような衣装を着ていて他の人間からは見えないが、緑を基調とした着物のような格好になると他の人間からも見えるようになる。古風なしゃべり口調が特徴。ススム同様に世間知らずで騙されやすい。また、ススムと同様に透の心を読むことができる。ススムのことを尊敬している。猫の同じようにキャットフードやミルクを好むが、好物はシュークリーム。魔の麻雀セットの影響を受けている女の子を探し出すことができる。
なお、彼女の「アユム」という名前は透がススムと知り合いだからという理由で勝手につけたもの。本人は最初は勝手に名前をつけられたことに反論していたが、気にしなくなっている。
イカサマ技はリーチを2翻役にすることができる。
三瀬綾菜(みつせ あやな) - 声優:安玖深音
透の幼馴染。透のことをよく見ているため、少しの異変にもすぐに気付く。魔の麻雀セットの影響で悪食になりかけた。
イカサマ技は相手の牌を透けてみることができる。
小松あすか(こまつ あすか) - 声優:夏野こおり
透の後輩。休日で兄が家にいるため図書室で漫画を描くためにきている。透に対して一言多い上にマシンガントーク。
イカサマ技はあがられた時のダメージを半減する。
神無月真帆(かんなづき まほ) - 声優:金田まひる
透の友人で野球部のマネージャー。かなり真面目だが不器用。前作で透以外に唯一ススムのことを覚えている。
イカサマ技はテンパイ流局時に和了牌を4枚の中から1枚だけ選ぶことができる。
鈴原志乃(すずはら しの) - 声優:柚木サチ
透の住んでいるアパートに住んでいる少女。透のことを憧れており、透もまた彼女に心を許している。
イカサマ技はあがった時に裏ドラをつけることができる。
下柳沙希(しもやなぎ さき) - 声優:北都南
透の義理の姉であり生徒会副会長。透のことを毛嫌いしているが、透のことを強く思っている。生徒会の中で透の話題になると顔を赤くして無口になるらしい。
イカサマ技はランダムに変えた3牌を役牌に変える。
大音渚(おおね なぎさ) - 声優:紫華すみれ
透の隣のクラスにいる生徒会の一員。風紀を乱すことを嫌い、透を目の敵にしている。だが、透に恋心を持っている。そのため、生徒会の中で透のことを悪く言う反面、他の女の子が透の悪口を言うと必ず反論している。
イカサマ技はリーチした時に高確率であがり牌を引くことができる。
大貫椎(おおぬき しい) - 声優:三咲里奈
家出中の少女。親に勉強するように強要させられたことで嫌気が差し、現在は路上で生活している。お金に困っており食事も満足に取れていない。他人に対して礼儀がなく、口癖も「うぜぇ」。
イカサマ技は相手の鳴きを無効化することができる。
忍足貴子(おしたり たかこ) - 声優:茶谷やすら
メイド服を主体としたコスキャバで働く女の子。働いている時も本名を名乗っている。バビィにヘルプを頼まれたのがきっかけでなし崩しに店員となっていた。真面目で他人の頼みを断れない性格。母親が浮気して家を出て行き、父親もだらしない人間で自分が支えないといけないと思い苦労した生活を送っている。
イカサマ技は相手のイカサマ技を無効化にする。
馬場・ソフィティリア・亜衣莉(ばば・ソフィティリア・あいり) - 声優:西村詩織
メイド服を主体としたコスキャバで働く女の子。通称・バビィ。ノリがよく飄々とした性格だが面倒見はいい。アユムの猫耳が可愛く持ち帰ろうとした。ハーフだけど英語が話せなかったり、学業も貴子に頼っている。
イカサマ技はあがった時にすべてのドラ牌をめくることができる。
瀬戸内みかん(せとうち みかん) - 声優:さくらはづき
いつも屋上で眠っている女の子。ぼーっとした独特な雰囲気を持つ。さらに口下手でコミュニケーションも取れないため友人がいない。酢昆布が好物で、普段から酢昆布を持ち歩いている。また、酢昆布を食べてくれた透が初めての友人。
イカサマ技は相手に与えたダメージの半分を自分のHPにする。
心愛(ここあ) - 声優:MFT(きこうでんみさ)
猫耳ボウシに白衣にスクール水着という怪しいファッションの女の子。本来の人格は他人を見下しプライドが高いIQ200の天才少女だが、情緒不安定になると退行し誰に対しても無邪気になる。神出鬼没で住んでいる家がなく、学園にいたのも保健室の先生と名乗り侵入していたらしい。
イカサマ技は相手のロンあがりを一度だけ無効化にする。
ドロシー・ハーグリーブス - 声優:松永雪希
イギリスから来た交換留学生。透と同じ学年、来週から隣のクラスに入る。名家のお嬢様で、言葉遣いもお譲言葉だが何故かザマス口調。日本の文化などを好む反面、日本の知識に乏しい。日本に来たのも武士道精神を磨きたいからと古風な考えを持つ。
イカサマ技は自分のツモを好調にする。
東西南北あずま(ひがた あずま) - 声優:藤田三枝子
生徒会副書記の女の子。一人称は「あず」。透の後輩。何故か首輪をつけている。また、普段からシャープペンシルをカチカチする癖がある。生徒会の中では有名人である透が、彼女の故郷のキーホルダーをつけていたことに興味を持ち、透のことを後ろから付回していた。アユムが消えている時でも気配を感じることができる。また、透に害をなそうとすると容赦なくカッターナイフで切りつけてくる。
イカサマ技は相手のツモあがりを一度だけ無効化にする。
白鳳桃(はくほう もも) - 声優:ありす
ドイツから来ている帰国子女。ドイツ人と日本人のハーフで、透の同じ学園で学年も同じ。日本語がうまく愛嬌がありファンも多く才色兼備のお嬢様だが、本当はゲームやコスプレが趣味の女の子。そのため、学園に隠れてアニメ系のコスキャバで働いている。父親が優秀な外交官であり、自分も今の生き方でいいのか思い悩んでいる。
イカサマ技は字牌を引くたびにHPを2000回復することができる。
白雪花(しらゆき はな) - 声優:河合春華
アニメ系のコスキャバで働く女の子。ニックネームは「白たん」。この世界でのゲーム「クライシスクエストIII」の僧侶の格好をしている。ゲームやコスプレなどが好きで、コスキャバでバイトしているのもコスプレもできてお金も稼げるという考えから。しゃべるのが苦手で過去に自分の趣味を馬鹿にされたことで男の人を苦手としている。だが、趣味の合う人間には心を開いて話すようになる。なお、仕事は無口キャラで通っている。
イカサマ技は相手の捨て牌を一度だけ晒さずに鳴くことができる。
小松芳宏(こまつ よしひろ) - 声優:広野大地
透の悪友。あすかの兄。カッコいい外見に似合わず重度のシスコンでロリコンという変態な性癖を持つ。その性癖が原因でアユムからは恐れられている。今作では魔の麻雀セットの影響で闇の姿になる。
イカサマ技はいらない牌を交換することができる。
柿内創造(かきうち そうぞう) - 声優:富士山一番
透の通う学園の教師。あだ名はそうちゃん。学生時代から透と近所付き合いがあり幼馴染。学園で酒を飲み酔っ払っている。
イカサマ技はテンパイ時に最後の牌であがることができる。
ススム - 声優:中澤アユム
本名「アルフレッド・カンテーヌ・デ・フォンド」。数ヶ月前に透と同居していた神様。その正体は里見ヶ丘にある公園に生えている大樹。魔の麻雀セットの影響で闇の姿で登場する。また、アユムの話では、彼が自費出版した回顧録はかなり美化されており、自分と透の立ち居地を完全に変えている。
イカサマ技は相手のロンあがりとツモあがりを一度だけ無効化し、自分のHPを5000回復する。

2009年01月27日

AN/APG-77レーダーを火器管制用レーダーとして機首

アクティブ・フェーズド・アレイ(APA)方式のAN/APG-77レーダーを火器管制用レーダーとして機首に搭載している[7]。レーダー自体はステルス性とは相容れないものであるが、APA方式は電波の横漏れ(サイドロープ)が少なく従来の機械走査式レーダーに比べて自己の位置を暴露しにくい[7]。AN/APG-77には約250km先の目標を探知出来る能力と多様なモードとの組み合わせにより優秀な索敵能力・信頼性・低被捕捉性を発揮し[8]、「ファーストルック・ファーストショット(先に見つけて、先に撃つ)」の最重要要素となっている[1]。また、相手の発するレーダーや通信電波を逆探知して方向を解析するESM(エレクトロ・サポート・メジャー)も備えている[7]。

電子機器はリスク分散のため複数搭載されており、列線交換ユニットの採用により整備性が高い。飛行操縦系統には3重のフライ・バイ・ワイヤ(FBW)を使用しており、飛行姿勢の安定性は高い。また、パイロットがブラックアウト・レッドアウトを起こしたり、平衡感覚が狂ったりした場合には、操縦桿を離すことで機体を自動的に水平状態に復帰させる機能もある。

ネットワーク機能の充実も大きな特徴である。飛行中のF-22は互いにデータリンク(IFDL:In Flight Data Link)により戦術情報を交換し連携して戦闘行動を取ることができる。また、索敵範囲を超える敵機及び友軍機の情報を司令部や早期警戒管制機から受信することもできる。さらにロックウェル・コリンズ社が開発中の高速データリンク・TTNT(Tactical Targeting Networking Technology)を2008年から導入する計画である。自ら発するレーダー波に頼らずに外部からの情報で位置確認や索敵を行う能力は、ステルス性を発揮する上では必須といえる。

アビオニクスのソフトウェアは1983年にMIL規格となり、アメリカ国防省の標準高等言語だったAdaで開発された[4]。開発規模は実装のソフトウェア化が進んだことにより、F-15Aのソフトウエアの200,000行(開発言語不明)に比べて2,200,000行と激増した。ソフトウェアの内訳は航法28%、レーダー12%、電子戦14%、通信14%の四分野で全体の7割近くを占めている。またレーダーと電子戦装置だけで全体の消費電力の90%を占めている。

近年ではソフトウェア開発が武器開発に占める割合が激増しており、AIM-120でも数十万行(開発言語不明)、F-35では4,300,000行を超え作業工数全体の40%を超えると言われている。一般的にソフトウェア開発規模の増大は要員増を招き、開発コストを著しく押し上げている。開発コストは生産数を多くすることで機体単価に占める割合を押さえることが可能だが、現在の生産数ではその効果は得られていない。
固定武装としてM61A220mm機関砲(弾数480発[5])を装備している。M61A2はM61A1の改良型で、長銃身化されているのが特徴である。ステルス性が重視されているため、機関砲発射口は普段は閉じられており、発射時のみ開く。そのため、発射まで多少のラグが生じる。
チャーター ファック なめこ バルチス 七色の風 サイドスタ アップ ジプシー ビルマ 赤唐辛子 牧場の家 ストック スリング アーケイズ ヒエロ バースト 一本釣り ダウナー 夏の日 青春の谷間 ワラン バターピ 風神雷神 マイイレ バード トロイオ デコルテ バビロン マロン てっけん 番外野郎 ダイハー ナイロビ オマーカー フルライ テリー 赤オクラ アップ 検索マナ メータロィ ブータン カニ歩き ヒーロ ローゼ スキャン 一本勝負 ガーケキ わらづと フラッ マルトル

また、ステルス性を維持する場合すべての兵装は全部胴体の下面1箇所と側面2箇所の、機内計3箇所のウェポンベイ(兵器庫)に搭載される。兵器庫内にはアームが備わっており、兵装を使用する際にパネルが開き、アームが伸びて兵装を機外に露出させる機構となっている。

左右側面2箇所の短距離空対空ミサイル専用のウェポンベイには、AIM-9M/Xを搭載する[5]。

下面ウェポンベイには従来型の中距離空対空ミサイル AIM-120Aを4発[5]、またはF-22用に翼とフィンを縮小したAIM-120Cを6発搭載する[5]。AIM-120はINSによる中間誘導とアクティブ・レーダー・ホーミングによるファイア・アンド・フォーゲット(Fire-and-forget、いわゆる「撃ち放し能力」)を実現している。

AIM-120は中距離ミサイルとはいえ射程は100kmを超える。F-22の短距離ミサイル×2と中距離ミサイル×6の計8発という構成は、双方共に4発の計8発だったF-15と比較し、遠距離からミサイルを発射して敵機を撃墜することに比重を置いていることが分かる。これはF-22自身の高いステルス性とレーダー、更には早期警戒管制機や僚機とのデータリンクにより「ファーストルック・ファーストショット・ファーストキル(first look, first shot, first kill:先に見つけ、先に射ち、先に撃墜する)」を意図した構成とされる。

空対地攻撃用にはGPS/INS誘導方式の統合直接攻撃弾薬(JDAM)GBU-32を搭載する[5]。また、F-22のウェポンベイのサイズを考慮した小直径爆弾(SDB)を開発中である[5]。

なお、ステルス性を考慮しない場合、翼下に600ガロンの燃料タンクを2本とミサイルを4発装備することができる。空対地装備としてAGM-88、GBU-22の搭載も可能である。また、フェリー時には燃料タンク4本を装備した上に、パイロン両側面にAIM-120Cを8発取り付けて輸送することができる。

2007年1月現在においてF-22には実戦経験はないが、「目視は出来ているのに(F-15の)レーダーに映らない」ことさえあるというステルス性により、「1機でF-15を5機同時に相手にできる」と言われており、訓練中の模擬戦闘で「F-15を相手として100戦以上行われた模擬戦闘で無敗」「アグレッサー部隊のF-16が300回もの模擬戦闘出撃を行ってついに一度もミサイルの射程内に捉えられなかった」「F-22のパイロット4人をF-15に乗せて1対4の模擬格闘戦を行い4機を全滅させた」等の逸話が生まれている。

もっとも、F/A-18Fに機銃で撃墜された可能性がある[9]。ただし撃墜した側のF/A-18のHUDに投影されている速度が失速寸前の速度であるため疑問が残る。また、F-15とF-16の2機相手に負けたりもしているため、常勝無敵とまではいかないものの有視界戦闘(レーダーに頼らず、目視での戦闘)においても卓越した戦闘力を持つと言える。